
ゴルフを始めたきっかけは小学四年の夏休みの出来事。
高校野球中継を見ながら、当時大洋ホエールズの捕手だった父・久晃さんに
「大きくなったらプロ野球の選手になる。」
と話しかけ
「女の子はなれないんだよ。」
と玄関先のゴルフクラブを与えられたという。
高校野球中継を見ながら、当時大洋ホエールズの捕手だった父・久晃さんに
「大きくなったらプロ野球の選手になる。」
と話しかけ
「女の子はなれないんだよ。」
と玄関先のゴルフクラブを与えられたという。
その後、'88年8月の関東ジュニア選手権を手始めにアマチュア通算28勝、ベストアマは'91年日本女子オープンなど11回。
'92年全米女子オープンでは29位タイの大健闘を見せ、同年8月のプロテストに一発合格を果たした。'92年9月のデビュー戦・東海クラッシックは、初日の第一打をいきなりOBしながら12位タイフィニッシュの大物ぶり。
翌'93年の12月、後援競技の健勝苑レディースでプロ初Vを遂げると、'94の開幕戦・ダイキンオーキッドでツアー初優勝を飾った。
以後’95年に2勝、'96年は大会2日目に2イーグル6バーディー1ボギーの“18ホール最少ストローク記録”63をマークしたNEC軽井沢72ゴルフを含む2勝を足掛かりに賞金女王に輝いた。
'92年全米女子オープンでは29位タイの大健闘を見せ、同年8月のプロテストに一発合格を果たした。'92年9月のデビュー戦・東海クラッシックは、初日の第一打をいきなりOBしながら12位タイフィニッシュの大物ぶり。
翌'93年の12月、後援競技の健勝苑レディースでプロ初Vを遂げると、'94の開幕戦・ダイキンオーキッドでツアー初優勝を飾った。
以後’95年に2勝、'96年は大会2日目に2イーグル6バーディー1ボギーの“18ホール最少ストローク記録”63をマークしたNEC軽井沢72ゴルフを含む2勝を足掛かりに賞金女王に輝いた。


さらに、翌'97年は2月のハワイアンレディース出場中に腰を痛め開幕戦を欠場するという最悪のスタートから年間6勝の大ブレーク。
7月の全米女子オープンでは平均飛距離第1位となり9位タイ、9月の日本女子プロ選手権での公式戦初制覇からは出場3試合連続Vという史上3人目の快挙もなしとげ、2年連続マネークイーンの座についている。
同年は最終戦・明治乳業カップでメジャー2連勝も果たし”同一年度公式戦2勝”で10年シード(当時の規定による)を手にした。
7月の全米女子オープンでは平均飛距離第1位となり9位タイ、9月の日本女子プロ選手権での公式戦初制覇からは出場3試合連続Vという史上3人目の快挙もなしとげ、2年連続マネークイーンの座についている。
同年は最終戦・明治乳業カップでメジャー2連勝も果たし”同一年度公式戦2勝”で10年シード(当時の規定による)を手にした。
'98年、シーズン2勝を果たした後、米ツアーQスクールを5位で通過し、翌'99年から米ツアーを主戦場に。'99年5月、フィリップス・インビテーショナルで日本人最速の12戦目にして米ツアー初Vを実現した。
さらに10月、AFLACチャンピオンズで2勝目達成。1年目にして49万7640ドルを獲得し、賞金ランキング15位の堂々たる成績を残した。
2000年、2001年はそれぞれ国内戦にも10試合出場。1月下旬に視力矯正手術を受けた2000年は4月の那須小川レディースで、2日目自らの持つ最少ストローク記録と並ぶ63を出し、日本ツアー1年7ヶ月ぶりのVを飾った。
翌年3月は、米メジャー・ナビスコ選手権での2位タイフィニッシュ。 2002年3月米メジャー・ナビスコ選手権5位。この年は米ツアー平均飛距離1位、また参戦4年目にして獲得賞金1億円突破で表彰を受けた。
さらに10月、AFLACチャンピオンズで2勝目達成。1年目にして49万7640ドルを獲得し、賞金ランキング15位の堂々たる成績を残した。
2000年、2001年はそれぞれ国内戦にも10試合出場。1月下旬に視力矯正手術を受けた2000年は4月の那須小川レディースで、2日目自らの持つ最少ストローク記録と並ぶ63を出し、日本ツアー1年7ヶ月ぶりのVを飾った。
翌年3月は、米メジャー・ナビスコ選手権での2位タイフィニッシュ。 2002年3月米メジャー・ナビスコ選手権5位。この年は米ツアー平均飛距離1位、また参戦4年目にして獲得賞金1億円突破で表彰を受けた。


2007年8月の『NEC軽井沢72ゴルフ』では、同大会4度目の優勝を、2位に7打差という大差をつけて勝ち取り、そして2008年は公式戦に格上げされたワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップの初代女王となった。
これで1997年JLPGA明治乳業カップ以来となる、3個目のメジャータイトルを手にし、日米通算25勝とした。
これで1997年JLPGA明治乳業カップ以来となる、3個目のメジャータイトルを手にし、日米通算25勝とした。
ボランティア活動も行っており、1997年から2002年横浜市福祉協会から、2003年は日本赤十字社から表彰される。
現在も『福嶋晃子エンジェル基金』として日本赤十字社やユニセフへの寄付を続けている。
福嶋晃子エンジェル基金はこちら
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